「湯道」
先日「湯道」という書籍・映画を初めて知ったと書きました。
ここ数年は子育てと仕事に夢中で、テレビやエンタメをあまり見ない日々で、
そんな面白い概念が生まれていたなんて、タイムリーに追えていなかった自分に悲しくなりもしました。
過去を悔やんでもしょうがない。
早速今年の書初めは「湯道温心」。もう一つは「健康第一」。
公式サイト「湯道のはじめかた」にこんな記載がありました。
どのような気持ちで湯に向かい、湯に浸かるうちにどんな想いを得たのか?
「湯道」公式サイトより
それを「湯の記」として書き留めることから、湯道の修行は始まります。
一人ひとりの湯の記が積み重なり、それを各自が参考にし合うことで、
湯の道は踏み固められてゆくのです。
私なりの湯道、湯の記を考えてみよう。そう思いました。
今のわたしは2人の子供の育児中で、お風呂に入れば戦場、ゆっくり湯船に浸かるのはたまにの贅沢、という状況。
自分のことを入浴貧困層だなぁと感じていました。
(入浴しても「ふは~~~」となれない。)
しかし、この状況を「道」ととらえれば意識が変わるのではないか。
そんなわたしが提唱する湯道はこちらです。
「子同伴の湯道」
読んで字のごとく「子供と一緒に入浴するときのこころがまえ」ですね。
自宅で入浴するときの道について湯道の所作にのっとって子供の場合を考えてみました。
まずおさらい、湯道の基本姿勢はこちら
一、感謝の念を抱く
二、慮る心を培う 湯につかるもの、常に次客もしくは隣客の気分となり、慮る心を培うなり
三、自己を磨く 湯の力を借りて頭を空にし、ありのままの自己と対峙することで心をいやすべし
「湯道」公式サイトより
この基本姿勢は子同伴にても変わらず。
「子同伴の湯道」において同伴者は、子がこの基本姿勢を身につけることができるように導くためにある。
「子同伴の湯道」における所作
湯道の所作も大人と変わらぬものを求めよう。
一、合掌:全ては感謝の気持ちから始まります。
(そう、特に掃除をして湯を張ったわたしに感謝をしてほしい)
二、潤し水:入浴によって失われる水分を入浴前に補給することを習慣にしましょう。
(水分補給と一緒にトイレに行ってくださいな。)
三、衣隠し:脱いだ衣服に、生きる姿勢が表れます。
(今のままでは混沌の人生を歩むこと間違いなし)
四、湯合わせ:見せかけだけのかけ湯ではなく入浴前にしっかりと体を洗いましょう。
(親としてはこれだけしてくれればなんでもよし)
五、入湯:湯に入ります。右足から浴槽に入り、波を立てないようにゆっくりと中央に移動します。
(飛び込む、泳ぐ、波を立てるは自宅だけの特権です)
六、縁留:湯に身体を鎮めると、浴槽の水位が徐々に上がります。縁の頂点でぴたりと止まりましょう。目をつむり「ふぅ~」と極楽のため息をつきます。
(子同伴では親、兄弟など続々と人が入浴してくることが多い、どの時点で湯があふれるか予測し観察するくせをつけよ。そして「ふぅ~」と極楽のため息をつき、ドリフの歌をうたうのです。)
七、湯三昧:湯に没入すれば、おのずと心の垢がはがれ、汚れのない穏やかな気持ちになっていきます。
(湯に没入し、一番身近で一番不思議な物質である「水」をおもう存分堪能してほしい。)
八、垢離:汗がじんわり出てきたら一度湯から上がり水をかぶります。
(最後にかるく身体あらって~)
九、近慮:次に入浴する人が不快にならないように慮る行為を「近慮」と呼びます。
(お外お風呂デビューする前にこれだけは身につけてほしい。)
十、風酔い:湯の余韻に身を任せればかすかな風の揺らぎさえも幸せの種になります。
(裸で走り回るのだけはやめてちょ~だい)
十一、合掌:感謝に始まり、感謝に終わる…
(とくにわたしに…)
湯道の所作、勝手にコメントに勝手に付け加えてしまってすみません。
本家はとてもきれいな言葉なので是非読んでみてほしいです。
結局、雑念だらけの道になってしまいました。
そして、この型に必要な二つの視点。
子の視点
一連の型の中で子に身につけて基本精神は大人と同じだが、特に感じてほしい精神を示す。
一、清潔さ体を温める心地よさを知る
湯に浸かってじんわり体がほぐれる心地よさを知り、清潔になる心地よさを知る。
頭の先から足の先まで砂だらけ、髪の毛には食べこぼし、手には絵具。それもきれいに洗いましょう。
要注意なのは足の指。砂、ほこり入っています。
入ってからまずドリフの歌うたうのがおすすめ。
ばばんばばんばん。
歌ならなんでもいいけれど、歌うことで今後一人立ちのときに役立ちます。生存確認として。
二、他人を慮る術を知る
湯船に飛び込む、及ぶ、波は自室だけの特権であることを知る。
あと、シャワーの向きだけは特に注意すること。結構はねます。
これを知ってからお外お風呂デビューしましょう。
三、一番身近で一番不思議な物質である「水」を知る
真面目な話。水は一番身近にあり、一番特別な物質。
世の中のほぼすべての物質は「気体→液体→固体」と体積が減っていく。
しかし、水だけは「液体→固体」で体積が増えるという特別な性質を持ちます。
一番身近であり、不思議な水と親しむ大切な時間にしてほしい。
子に同伴するものの視点
こちらは誠に単純。
一にもニにも、子の安全を確保。
安全を見守りながら、頭を空として、ただただ湯と戯れる子を眺めるべし。
家の中での事故発生件数No.1であるお風呂。
溺れるという危険だけでなく、いつの間にか湯船のお湯をがぶがぶ飲んでいることがあり目が離せません。
子どもがえんえんカップの水を移し替えているのは水がきになるから。
ゆっくり湯船に浸かってリラックスすることはかなわなくても、
ほんの少しの時間だけでも、無理やりにでも頭を空っぽにして目の前の事象を受け止めましょう。
そして、温まりたい大人と熱い湯が苦手な子供。お湯の温度で一悶着あることも一興。
「お風呂入ろう」といえば「いやだ」といい、
いったん入れば「そろそろ出よう」といっても「まだ出ない」という。
そのやりとりも含め「道」なのです。
いつかは卒業する「型」である
この型はいつでもできるというものではありません。
湯道冒頭部、泣いている赤ちゃんが産湯に入って「あぁきもちいい」の顔。
ほんとうに産湯につかる赤ちゃんって、そういう顔をするんだよね。
体感したことのある人なら心の深いところに響く映像。
「湯の道へようこそ」のセリフは少しこわいけれど、
そこから続く子同伴の湯道にはいつか終わりが来ます。
子が一人で入りたいと言い出す6-10歳には卒業する必要があるでしょう。
そして時が経ってからまた子と湯に浸かることもあるかもしれない。
だが、その時はこの型ではなく、大人一個人の型同士となってしまうのです。
期間限定のこの型を意識して、今日も風呂という戦場にいってきます。
(あ、戦場っていっちゃった。)