「湯道」に出会った
2015年小山薫堂さんが新たな「道」を拓いた。
それは「湯道」。
華道、茶道と同じように入浴文化を深く掘り下げる「湯道」があってもいいのではないか、と立ち上げたとのこと。
初めてこの概念を知ったのは昨年末。
知ったときの感想は、シンプルに、
「とってもいいな。」ということ。
何が、いいな、と思ったかというと大きく二点。
・湯船に浸かるというのは本当に日本の文化に深く根差していることだから
「道」として掘り下げる価値があるな。
・温泉に限定していないところがいいな。
日常にある湯船の中に「道」があるという考えがすてき。
「湯道」の映画と小説が公開されていることも全然知らなかった。
小説を早速購入し読んでみた。
読んでみたらやっぱり映画も見たくなって見てみた。
キャストが豪華すぎて、しかも皆さんぴったんこで驚いた。
テルマエロマエ以来のお風呂エンタメ。
テルマエロマエの上戸彩ちゃんと湯道の橋本環奈ちゃん。
どちらも最高。ヘルシーで素直さが最高。
型のある「湯の道」だけでなく、入浴は自由に楽しむべしというメッセージもありほっこり温まった。
このブログで「温泉の泉質うんたら、味うんたら」書いている私が共感するのは、
吉田鋼太郎さん演じる「源泉至上主義の温泉評論家」、というわけではない。
いや、鋼太郎さんは素晴らしい。
キャラとぴったり合った演技、見た目も中身も本当に好き。
だが、共感するのはやはり小日向文世さん演じる郵便局員さん。
もくもくと仕事をこなし、楽しみは家で湯船に浸かるとき。
定年を間近にしてあこがれていた「湯道」の門戸を開く。
自分の家に檜風呂を作るのが夢。
わかる。わかりすぎます。
この本では銭湯と、湯道としての湯が大きくピックアップされているけれど、
やっぱり一番身近なのは自宅の湯。
それぞれの楽しみ方でいいんだよ。と語りかけてくれるような映画。
子育て中の今は、入浴は子どもとのコミュニケーションの場になっていて、
自分と向き合うという入り方はたまにの贅沢。
でもでも、今しかできない「湯道」もあるのかもしれないな。
湯道とは?
あらすじ
『湯道』の舞台は、ある地方の寂れた銭湯。
亡き父が残した「まるきん温泉」という銭湯に、都会で活躍していた建築家の三浦史朗が突然帰省する。
父の葬儀にも忙しいことを理由に帰省しなかった兄がなぜ今?と、店を守ってきた弟の悟朗は不信感を募らせる。
二人の関係を軸に看板娘のいづみ、訳あり常連客、温泉評論家ら多彩な人物が絡み合い、
様々な泣き笑いのエピソードが交錯し、「お風呂は人を幸せにする」というメッセージを伝える。
「湯道」の型
- 合掌
- 潤し水(うるおしみず)
- 衣隠し(きぬかくし)ー衣描き(ころもかき)
- 湯合わせ(ゆあわせ)
- 入湯(にゅうとう)
- 縁留(ふちどめ)
- 湯三昧(ゆざんまい)ー響桶(ひびきおけ)
- 垢離(こり)
- 近慮(きんりょ)
- 風酔い(かぜよい)
- 合掌
型は初めてきくと何が何だか、という感じがするけれど、よく考えると納得。
小山薫堂さんがつけたもののよう。さすが言葉のプロはすごい。
小山薫堂さんの「湯道」としての活動
2015年 6月 京都 大徳寺真珠庵 第27世住職の山田宗正氏から
「湯道温心」という言葉を賜り、「湯道」を拓く。
湯道の基本精神「感謝の念を抱く」「慮る心を培う」「自己を磨く」
様々な伝統工芸を「道具」として使用することで、
職人たちの技や伝統を保護継承する、というのも活動の一つ。
エンターテイメントや茶道に精通している小山薫堂さんだからこそ考えついたことなんだろう。
「湯道」を見終わった後、小山薫堂さんのエッセイを読み漁る。
実学やエビデンス云々にかぶれている頭カチカチの私にはまぶしすぎた。
日本語には「お風呂をいただく」という表現がある。
各家庭に風呂が無い時代に、お風呂がとても貴重で贅沢だった。
お風呂を薪で沸かしていたため、もてなす側は汗をかきながら火加減を調整しお風呂を準備していた。
客人はそのもてなしの心に深い感謝の意を込めて「お風呂いただきます」と言うようになった。
日本に古来からあるこの表現がすでに「道」のはじまりなんだな。
なんだか深く納得した夜だった。